日本人元傭兵の宿命完全燃焼人生
最近はスマホを見ていると、鬱陶しいほど沢山の広告が表示されますよね。
無料漫画の広告も多いのですが、その中で、『ゴッド・オブ・ブラックフィールド』という題名のマンガだけはちょっと気になって、アプリをダウンロードして読んでみることにしました。(…広告主の戦略にしっかりハマっとるがな)
ストーリーは、フランスで傭兵をしていた28歳の日本人青年が戦場で撃たれて、目覚めたらそこは何故か日本の病院で、自殺した全く知らない日本人高校生の体になっていたという、最近流行の異世界転生ものです。
それを読んでいてふと疑問に思ったのが、
「そういえば、日本人の傭兵って実際いるのかな?」
ということでした。
早速調べてみたら、いました。
現在は軍事アナリストなどをしてらっしゃる、高部正樹さんという方です
私は今回検索して初めて知りましたが、テレビなどにも出られているそうなので、有名な方なのかな?
この方は生年月日を公表されてないので、算命学の命式は出せません。
何となく車騎星と龍高星、天馳星2つはありそうな予感がしますが、答え合わせは出来ませんので想像するのみです。
では、どうして宿命を完全燃焼してると思ったかというと、リンク記事の中のこの一説からです。
「(日本に)帰ってきて知り合いに会うと、みんないいもの食べて、いい女と遊んで、いい自動車乗ってました。彼らに、
『よくそんな生活してるね?』
って馬鹿にされましたけど、逆に僕からしたら
『お前らこそ、よくそんな退屈な生活をしていられるな』
と感じていました」
それでも戦場にいると、飢えるし、汚いし、肉体的にもきつい。日本に帰りたいと思うこともあった。
日本に帰ってくるとつまらなくなった
だが、日本に帰ってきて2~3日がすぎると、つまらなくなった。まるで生きている感じがしなくて、早く戦場に戻りたいと思った。
「例えば1000円払っていいもの食べるなら、毎日キャベツでもいいから、1日でも早くお金をためて戦場に戻りたかったですね」
戦場は死ぬ確率が非常に高い。
高部さんも自分が死なずに済んだのは、運がよかったからと認識している。
戦場に憧れる人は少なくない。だが実際に戦争に行く人はごくわずかだ。それは戦場へ行くとリアルに死んでしまうからだ。
高部さんは、死とどのように付き合ってきたのだろう?
「周りで仲間は死んでいきますから、いつかは自分にも順番が回ってくるかもしれないと覚悟はしてました。ただあんまり重たくは考えてなかったですね。『運が悪ければ死ぬな』ってな感じです。『死ぬのも契約のうち』くらいに思ってました」
私が特に注目したのは、『あまりに過酷なので日本に帰りたいと思うこともあったけど、実際帰るとつまらない、生きている感じがしなかった』というところです。
人は宿命に合ってないことをし続けていると、生きてる感じがしなくなります。
それは、たとえ”誰もが羨む人生”を歩んでいても、です。
どんなにいい家族に恵まれて、経済的にも満たされて、何不自由なく生きていても、それが自分の宿命に合ってなかったら何の意味もない。
普通の日本人から高部さんを見ると、わざわざ好き好んで劣悪な他国の戦場に行って、死と隣り合わせの生活をするなんて正気の沙汰ではありません。
でも彼にとっては、その環境こそが宿命を十分に発揮できるフィールドなのでしょう。
前回の記事で私が自分の20代を振り返った時に思った、
『誰が何といおうと、本人的には大満足』
という状態だと思います。
算命学的に言うと実はこれが一番大事。
これこそが「自分の人生を生きている=宿命を消化できている」証に他なりません。
さらにこんなことも仰ってます。
「傭兵をやめたときに、
『この人生における、僕の仕事は終わった』
と思いました。
『この命でやるべきことは終わった』
と言ったほうがいいかな?
そして残りの人生は流れるままに生きよう、と思いました」
とりあえず日本に帰国することにしたが、とくに帰国後の不安はなかった。
「そりゃミャンマーの基地にいたほうが不安ですよ(笑)。日本で生活してても銃弾は飛んでこないし、まあなんとかなるだろう……と思いました」
日本に帰ってくると、古くからの知り合いに、
「お前、必死になって傭兵やってきたかもしれないけど、何も残ってないじゃん? お金も家族もないだろ?(笑)」
と馬鹿にされた。
「でも僕にとっては“何も残してないこと”をむしろ誇りに思ってるんです。自分がこうと決めた道を100%、余力を残さずに生きてきました」
『この命でやるべきことは終わった』
ちょーカッコイイ!
今の日本でこんなセリフを吐ける人間がどれだけいることやら。
もう宿命の完全燃焼ですよ、灰すら残っていない感じ。
でも帰国後の高部さんが、バリバリ多方面でご活躍中だということは、この世で果たす役割がまだまだ沢山残っているということでしょう。
そりゃあそうでしょう、こんな貴重な経験をしている日本人は他にいませんから、後世にその経験を伝えていくというミッションもあるはずです。
本も何冊か出版されているので、近いうちに読んでみようと思います。
歩みが遅い甲木の私
40代後半にもなると、時々これまでの人生を振り返ったり、今の現状を嘆いたり、人生後半をどうするか考えたりすることが多くなりました。
そうした結果、理想とする人生はまだ手に入ってないけど、段々と近づいているような気はしてきました。
自分の人生を振り返って自己採点すると、20代は80点くらい採れてると思います。
家業が倒産して両親が夜逃げするという悪条件の中、大学在学中から働きまくって無事卒業したし、卒業後もアルバイトで貯めたお金で語学留学したし、海外旅行も沢山、恋愛もそこそこした、勉強も頑張って資格も3つ取った。
遊びも勉強もフルスロットル!
その結果は、傍から見たら大したことないかもしれないけれど、私があの時点で出来る精いっぱいのことはやった、という感はあります。
誰が何といおうと、本人的には大満足。
ところが30代は…となると、満足度は一気に下がって40点くらいかな。
30代に入って「そろそろまともな道を行った方がいいんじゃないか」なんて柄にもなく焦って、向いてないサラリーマンになってしまったことで、完全に陰転してしまった天将星の暗黒時代。
とにかく毎日悶々としていましたね。
仕事も続かなくて、随分と遠回りしました。
でも、それも決して無駄にはなってないと今は思います。
雇われに向いてないとハッキリ知ることが出来たし、会社勤めで得た知識は今も役に立ってます。
特に税理士法人に勤務していたことは私の財産になっていて、何が良かったって、自営業になった今、確定申告が楽勝!
何なら法人成りしても、自分で決算書作成出来るくらい余裕。
人生は何が幸いするか分かりません。
35歳から自営業始めて、それからちょっと持ち直して、40代の前半までは65点くらいかな。
なんだかんだ言って、こうしたいなぁと思ったことは叶えて来て、結果は完璧に理想通りとはいかないけど、そこそこ実現できている状態。
この『そこそこ』というのが、私の天将星が陽転し切れていない証拠かもしれません。
でも理想に近づいていることは確か。
難点は、とにかく歩みが遅いこと。
でも、ふと思ったんです。
「この歩みの遅さは私の日干が甲だからか?」
算命学で言う十干は下記の通り。
甲乙丙丁戊己庚辛壬癸
これの最初の『甲(きのえ)』これは大木を表します。
樹木は急に大きくなりません。(竹は除く)
四季のある日本では、樹木は毎年1つずつ年輪を増やしてゆっくりと成長します。
(ちなみに季節の区別がない熱帯地域などでは、年輪は確認できないそうです)
これがもし、急成長してヒョロヒョロと上にだけ伸びて行ったら、何かの拍子にポキンと折れてしまいます。
実際、日干甲の人は一度折れてしまうと、再起が難しいとされています。
そう考えると、私の歩みが遅いのも仕方ないか、と思えてきます。
同年代で輝かしい業績があったり、大活躍している人を見ると、「それに比べて私はしょぼいなぁ…」なんて時々思いますが、人と比べても仕方ありません。
同じように焦ってる日干甲の人が他にもいると思いますが、少しずつでも前に進んでる実感があれば、きっと大丈夫。
目に見える成果が出ない時は、将来の成長のために地下に根を伸ばしているのですよ。
大器晩成と信じて、お互い頑張りましょう。
理想の死に方
個人的に気になったニュースがありました。
ブラジルの熱帯雨林に暮らす先住民の最後の生き残りが亡くなったというニュースです。
まず、他にも仲間の部族がいたのに、領地を拡大したい牧場経営者に全員殺されたというのが、もうなんだか修羅の世界ですね。
ブラジルという国の民度が知れてしまいます。
都市に馴染み、文明の利器に囲まれて暮らしている人間は、こうした先住民族を
よく『未開人』とか『野蛮人』とか呼ぶことがありますが、一体どっちが野蛮なんだか。
仲間が殺された後、それ以前からかもしれませんが、外部との接触を一切断ち、たった一人で自給自足の生活を送って来たこの男性、最後は鳥の羽を纏った状態で、ハンモックの中で息絶えていたとか。自然死と見られているそうです。
これを知って、私は思いました。
「これって、私が理想とする死に方やわぁ、羨ましい!」
本当は鳥葬が私の一番の希望なのですが、日本では認められていないので、死にそうになったらチベットまで行かなくてはならず、そんな死の際の老体にムチ打って、チベットの山岳地帯まで行くのは難しいので、この案は却下となりました。
鳥葬を望む理由は、人間は食物連鎖の頂点に居るのにもかかわらず、最後は他の動物たちの栄養になることもなく、土に還ることもないのがとても不自然に感じるからです。
百獣の王ライオンだって最期はハイエナや他の肉食動物の餌となって、命の循環の一端を担っているのです。人間はヴィーガンでもない限り、沢山の他の生命を頂いて、長い生涯を生きます。それなのに、その最期は火葬されて骨壺に入れられて、土にさえ還れません。
それが何だかとても気持ち悪い。
という話を、何年か前に隣のおばちゃんとの井戸端会議で話してたら、
「それ、私の高校の時の国語の先生も同じこと言うてたわ!」
と、意外にも賛同者がいることが分かり、何だか嬉しくなったのですが、まぁどのみち日本では無理な話ですね。
ちなみに庶民がお墓を建てるになったのは、江戸時代からだそうです。
つい最近ですよね。
平安時代なんかは庶民が死んだら風葬するのが普通で、遺体は京都の化野(あだしの)や鳥辺野(とりべの)なんかに野ざらしにしていました。(家にある『平安京の風景』という本に、確かそう書いてあった)
鳥辺野という地名からも分かるように、千年前は日本でも鳥葬が行われていたのです。
いいなぁ。
ただし、それが疫病が流行る一因にもなっていたと思うので、デメリットも大きいのですけどね。
まぁ、こんなことばっかり言ってると「変わり者!」と言われるので、ごくごく親しい人にしか話してませんけれどね。(…って、ブログに書いちゃっとるがな)
ブラジルに話を戻すと、この男性はたぶん自分の死期を悟って、自らの体を鳥の羽で飾り付けて死装束とし、そのままハンモックに横たわり、静かに旅立ったのでしょう。
確かチベットでも、魂は鳥の体に乗って天に帰るという言い伝えがあったはず。
(出典は夢枕獏の小説)
うろ覚えだけど、北米のネイティブ・アメリカンにも同じような伝承があったような…。
実は算命学では、最後はどんな死に方になるか予想できる占技があるんです。
でも、あんまり当たりません。有名人で訃報があると検証してみるのですが、その通りになる人は半分以下です。
というのも、たぶん宿命に沿った生き方をしないと、死に方も星通りにならないんだと思います。現代人はちょっと無理をした、不自然な生き方をしてるんでしょうね。
まさにどう死ぬかはどう生きるかと同義ですね。
でね、この先住民男性のように、自然で穏やかな死に方が出来るというのは、北の星が鳳閣星か調舒星だったんじゃないかと思います。
看取る人もなく一人で逝ったから調舒星かな?
鳳閣星と調舒星は長寿の星で、北に出る場合、最期は老衰だとされています。ブラジル男性は60歳くらいだったということですが、医療機関にも一切お世話になっていないので、原始的な生活をしていた先住民族としては長寿な方ではないでしょうか。
仲間を殺されて一人きりになってしまって、辛いことが多い人生だったと思いますが、最後は穏やかな死に方が出来て良かった。
私の北の星も鳳閣星なので、宿命通り生きられれば老衰による自然死になる予定です。
ただ、独身で子どもいないので孤独死する確率大です。
別にそれは全然構わないのですが、家の中で腐っちゃうのは処理する人に大変申し訳ないと常々思っていて、死にかけてきたら外でハンモックで寝るのがいいかなー?そのためには田舎の民家を買わないといけないなぁ…寒いの暑いの耐えられないから死ぬのは春か秋がいいなぁ、なんて考えていた時に、まさにそういう死に方をした先住民がいたので、書き留めてみました。