財の星の有無
先日の記事で、無いものに拘る例として、『財の星がない人が財に拘るとろくなことにならない』と書きました。
鑑定で命式を見て、「財の星はありません」と伝えると、大抵の方はガッカリします。
『自分はお金持ちにはなれない』という意味だと勘違いされるようですが、全くもってそんなことはありません。
財の星のない大金持ちというのは結構いて、よく引き合いに出されるのが、スティーブ・ジョブズです。
財の星である、禄存星・司禄星は一つもありません。
生前の彼はお金儲けには興味がないと語っていました。
命式を見る限り、それは本心であったと思いますが、結果的に彼は大富豪になりました。
おそらくお金に拘らず、自分の理想を追求しからこそ、彼の事業は成功したのでしょう。
似たような成功の仕組みは昔からあったようで、私は経済学部卒じゃないので知りませんが、ひと昔前の経済学の講義では必ず出てきたらしい、マックス・ヴェーバーの『プロテスタンティズムの論理と資本主義の精神』(通称『プロ倫』)に通じるものがあるように思えます。
プロ倫とは、簡単に説明すると、キリスト教の一派であるプロテスタントには『予定説』というものがあって、生きている間に教会にいくら寄進したとかは関係なく、最後の審判の時に、救われる人間と救われない人間はあらかじめ決められている、という説です。
私なんかは、天国に行ける人間はあらかじめ決められていて、生きている間に何をしても結果が変わらないなら、好き放題やっちゃうぜ!となること間違いなしなのですが、プロテスタントの信者はそうは思わなかったようです。
自分が選ばれた人間かどうか分からない不安から、
「天国に行ける人間には使命が与えられていて、それを粛々と遂行すれば現世でも成功するはずだ」
「それが選ばれた人間か否かを見分ける手段だ」
という思考回路を辿り、お金儲けは二の次で社会のために勤勉に働き、結果的にお金持ちになったらしいです。
西洋人の思考回路、理解不能…ですが、でもこれは、財の星がない人がお金持ちになる方法として大いに使えますね。
いや、全ての人に言えることかもしれない。
「拘る」と空回りしますが、お金に拘らずに、ひたすら世の中に価値を与えることだけを考えれば、お金は後からついてくる。
そんな良い例を、ジョブズとプロ倫は教えてくれてます。
なかなか凡人には難しいですけどね。。