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NHK朝の連続テレビ小説『カーネーション』

立春です!

算命学的にやっと新年になりました。

 

立春に因んだ記事を書こうと思いましたが、なーんも浮かばなかったので、NHK朝の連続テレビ小説(以下朝ドラ)のお話をします。

現在は『カムカムエブリバディ』が放送されていて話題になっていますが、私は基本的に朝起きれないので、お昼の再放送でチラッと見たくらいで、ほとんど見ていません。朝ドラじゃなくても、ドラマを見続ける根気自体がないので、最終回まで見続けたドラマは片手に収まるくらいしかありません。

 

その片手に収まるドラマの中で、私が一番良かったと思ったのは、2011年後半から

放映されたNHK朝ドラ『カーネーション』。

 

まず2011年の後半というのは、私が本業の自営業を始めたばかりで、ほとんど収入がなく、最低限食べていくために深夜のファミレスでウエイトレスの副業をしてたんですね。

そのバイトが終わるのが朝6時で、そっからコンビニで朝ごはんを買って、家に帰って「あー、今日もしんどかった…」なんつってダラダラ食べていると、朝ドラが始まるわけですよ。

 

だから、朝ドラの始まる時間に、私がちゃんと起きていた奇跡的な時期だったというのがまずあるんですが、それでも面白くなかったら見てないと思うんですよね。

 

私は大概のドラマには興味が湧きません。

ところが、このドラマには、どんどん引き込まれて行きました。

 

このドラマは、世界的デザイナー・コシノ三姉妹を世に送り出した母・小篠綾子さんをモデルにしているのですが、尾野真千子さんが演じる糸子(綾子さんがモデル)が、全然いい子ちゃんじゃないんです。

 

朝ドラの主人公って、大概が優等生的な言動ばっかりで、ひねくれ者の私なんかは鼻白んでしまうんですが、この糸子という人は、泉州弁で悪態はつくし、喧嘩はするし、親に楯突くし、学校は勝手に辞めちゃうし、不倫はするしで、

 

NHK朝ドラ史上初の不良ヒロイン。(笑)

 

でも、これこそが人間だと思うんですよ。

人が生きるということは、綺麗ごとばかりではありません。

 

糸子の幼馴染みの奈津(栗山千明さん)も、戦後の混乱期、生きていくために体を売ったりしている暗喩もありましたしね。

 

他の朝ドラがそういう陰の部分をほとんど描いていないのに対して、このドラマはきちんと描いているところが素晴らしかった。

 

で、糸子の夫が戦死してから、周防という妻子ある男性と恋に落ちるのですが、その周防(綾野剛さん)とのやり取りで印象に残っているシーンがあるので、それについて触れます。

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綾野剛さんは不思議な色気があるね。
画像引用元:https://www.twellv.co.jp/news/whatsnew/2021/61763/

 

戦後、長崎から流れてきて、テーラーとして独立したいと願う周防の夢を叶えようと、糸子が開業資金を立て替えて、遂に開店の日を迎えます。

最後の仕上げに、店の屋根に掲げられる看板を二人で眺めながら、周防があんまり嬉しそうじゃないことに糸子が気づきます。

 

糸子はハッとして、しんみりと言います。(註:私の記憶を元に書いているので、実際の演技・セリフとは多少違います)

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「あんまり嬉しそうやないね。うちが初めて自分の店の看板掲げたときは、むっちゃ嬉しかったけどな…」

押し黙ったまま微笑する周防。

「ごめんな、うち…、周防さんの夢を奪ってしもたな」

 

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これ、分かりますか?

 

私は周防さんの気持ち、痛いほど分かりましたね。

自営業11年目の今ならもっとよく分かります。

 

自分の城を持つというのは、苦労の末に、己の力で達成してこそ感慨が湧くものです。

それを、後から返済するとはいえ、付き合ってる女にポンと資金を出されて、あっさりと長年の夢を実現されたら…。

 

何と味気ない、何と虚しいことでしょう。

 

そのことに、周防の表情で一瞬にして悟った糸子も偉い。

糸子自身が苦労した経営者だったからこそ、気がつけたのでしょう。

この日を境に二人の関係は終わりへと向かいます。

 

これ、算命学的視点で見ても当てはまることが沢山あります。

天南星・天禄星・天将星などを持つ身強の子たち、又はそれと同等の宿命の子に、親がこれをやっちゃうと99%ダメになります。

 

周防さんの場合は、糸子とは他人の関係だからまだマシなんです。

その後ちゃんと返済してますし、他人の場合は、本人たちは気づいていなかったとしても、その関係性に何らかの対価が存在するので、等価交換とも言えます。

 

それが、与える側が親だと、無条件供与になるので、ただの甘やかしになります。

身強の人たちは、何もないところから自分の力で現実を掴んでいくことが人生の喜びです。元々我が強いので、その苦労の人生行程であちこちにぶつかって角が取れて、人間が磨かれていくという重要なメリットもあります。

 

親が何でも与えてしまうというのは、一つ一つ夢を叶えていくという人生の喜びも、人間性を磨くチャンスも全て奪ってしまうことに他なりません。

与えられ続けると段々感覚が麻痺してきますから、欲望は際限がなくなり、周りには感謝もなく、喜びは薄れ、そうして辿り着く境地が、何と味気ない、何と虚しい人生だろう…というものです。

 

親は良かれと思って与えるのでしょうが、とっても残酷ですよね。

これは、何も身強だけに限らず、身弱や身中の人にも当てはまることではありますが、特に身強のお子さんを育てられている方は留意して欲しいと思います。

 

あー、『カーネーション』、もう一回全部通しで観たい!

pentacles.jp