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『ニュー・シネマ・パラダイス 完全版』を観て、陽転について考える

半年くらい前だったかな?

 

ケーブル・テレビで名作『ニュー・シネマ・パラダイス』の完全版を観ました。

この映画は好きなので、何度も観てますが、完全版は初めて見ました。

 

今まで観ていた劇場版より、1時間近く長いし、叶わなかった恋の方に重心が置かれていて、まるで別の映画を観ているようでした。

 

全てのあらすじを書くのは面倒なので、まだ見てない方はWikipediaでも読んで頂くとして、完全版で追加された部分だけのあらすじを紹介し、算命学的な考察を交えて、思ったことを書きたいと思います。

 

完全版の方では、ローマで有名な映画監督になったトト(サルヴァトーレ)が30年ぶりに戻った町で、行き違いから生き別れになった昔の恋人・エレナに生き写しの女性を偶然見つけます。気になってストーカーしてみたところ、やはりエレナの娘だということが分かります。

そしてエレナ本人に会うことに成功します。

彼女は、トトもよく知る同級生ボッチャと結婚していました。

トトは、エレナが町を離れるとき、どうして連絡先を教えてくれなかったのかとなじります。しかし、アルフレードが邪魔をして、伝言が出来なかったことが分かります。

そこで彼女は壁にメモを残しました。アルフレードは盲目なので、気付かれずに連絡先を残そうとしたのですが、そのメモの上に別の紙が刺され、連絡先は埋もれたまま、30年の月日が経ってしまいました。トトは彼女が忘れられず、恋人はいるものの、いまだに独り身です。

 

色々な想いが錯綜して感極まるトトに、エレナが放ったセリフが印象的です。

「でも私と結婚していたら、あなたはこんなに成功していなかったと思うわ。もうこれで会うのは最後にしましょう」

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ここまで見て、私は算命学の陽転と陰転のことに思いを馳せました。

 

年老いた映写技師アルフレードは、おそらく若き日のトトに、何かしらの可能性を感じていたと思うのです。だから、2人の恋路を邪魔して、トトへ「都会へ出ろ!」と煽った。

 

エレナと生き別れになって、そうするしかなくなった彼は、その通りに町を離れ、映画監督として成功する。

 

これは所謂、運命の陽転です。

 

勝手に想像すると、トトの主星は調舒星じゃないかと思います。

芸術の星だし、孤独だし、裏切られるごとに開運していく星だから。

 

しかし陽転への人生を選んだせいで、彼はエレナと温かい家庭を築くことは出来なかった。

そこで私はこう考えました。

もし、彼にとって一番の幸せがエレナとの結婚だったとするならば、別に陰転してしまったとしても良かったんじゃないか。映画監督になって自分の思い描く作品を撮ることも、有名になることもなかったけれど、田舎町で愛する女性と子供に囲まれ、静かに年を取って行く…それでも良かったんじゃないかと。

 

でも、また思い直します。

幸せって一度手に入れたらそれで終わりじゃないんです。

願って止まなかった幸せな生活を手に入れても、悲しいかな、人間は幸せにすら飽きるんです。

そうすると、どうなるか。

「もし、エレナと結婚せずにあの時ローマに出ていたら、俺の人生はもっと華開いたんじゃないだろうか…」

きっとこう思うに決まってます。

算命学では宿命にある星を輝かせる生き方をするのが、本人的に一番満足で、成功の人生であるとしています。お金持ちになるとか、有名になるというのは、算命学では成功の定義ではありません。

 

結果的に映画監督として有名になるような才能を持つトトが、小さな町で平凡な生活を送ったとしたら、たとえ好きな女性と家庭を築いていても、それはそれで、またきっと後悔していたでしょう。「俺はこんな田舎でくすぶってるような人間じゃねぇ!」なんて荒れて、アル中になっていたかも知れません。

宿命にある星は、できるだけ消化しないとモヤモヤが大きくなりますからね。

 

そう考えると、やはりアルフレードが2人の仲を裂いたのは正解だったという結論になります。

トト本人は、成功の代償として、未だに孤独かもしれないけど、それは陰陽の法則だから仕方がありません。

それに、命式にもともと配偶者の星がない場合、宿命の星を輝かせれば輝かせるほど、宿命通りに縁遠くなったりしますからね。

 

陽転といっても手放しで喜べるものではなく、なにかしらの犠牲を払っていたりするし、その逆もまた然りという、人生の深淵を覗いたような気がする映画でした。

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