無いものは無い
私の好きなツイッタラーのカマたくさんがとても素晴らしいツイートをしていましたので、ご紹介いたします。(ぜひリンクに飛んで動画を見てください)
今の自分が持っている"手札"で生きて
— カマたく@CRAZE (@takuya_hyon) 2021年3月19日
もし少ないのなら今後
"手札"を増やしながら生きればいい
自分の悩みと戦ってくれるのは
その"手札"です
そしてその"手札"は
"肩書き"とか"地位"とか"知名度"とかの「外見」じゃない
「中身」なの pic.twitter.com/gXzdSKpcaU
これは本当にその通りで、算命学でも、『無いものはない、持ってるもので勝負するしかない』というのが基本的な考え方です。
たとえば、財の星のない人が財に拘ったり、午未天中殺の人が子供に拘ったりすると、大抵ろくなことになりません。
しかし、人間というのは、欠けているものに拘りがちで、そうすると忽ち悩みが生まれ、不幸になります。
まさにカマたくさんの言う通りです。
算命学というのは自然万象学ですから、自然のあるがままの姿を見れば、真理は一目瞭然です。
樹木は何十年、何百年と同じ場所に根を張り、そこから動くことはありません。
そうすることで土を固め、二酸化炭素を取り込み、酸素を排出し、日陰を作り、人や動物の役に立っています。
その樹木が、傍らを流れる川を羨ましがって、水になって知らない町へ行ってみたい、と願ったらどうでしょう。
もちろん水になることは出来ないので、叶わない想いに捉われて悶々とします。
でも「知らない町に行きたい」という願いが叶うチャンスはあるかもしれません。
大雨による土砂崩れでなぎ倒されて、下流の町に流れていく場合です。
そうすると、樹木はどうなりますか。
死にますね。
流れついた町も災難です。
このように、樹木はあるべき場所にあって、するべき役割を果たすことに存在意義があります。
人間も一緒です。
私たちはみんな5つの十大主星と、3つの十二大従星を選んで生まれて来ます。
とてもバランスよく、違う種類の星をいくつか揃えて持っている人がいれば、同じ星ばかりで偏っている人もいます。
バランスが良い人は中庸を生きるのが合っていて、偏っている人は極端な生き方をした方が合います。
みんな役割が違うから、それぞれ命式が違うのです。
だから、やみくもに人を羨んで、無い物ねだりばかりしていると決して幸せににはなれません。
やたら隣の芝生が青く見えたら、一度冷静になって、本当にその芝生は青いのか、そもそも自分の庭に芝生が必要なのかを考えてみるといいと思いますよ。